気まぐれ日記 2010年9月

2010年8月はここ

9月1日(水)「養命酒事件・・・の風さん」
 今日も会社の仕事が忙しいので、目覚ましが鳴ったら飛び起きようと思っていたが、……鳴らなかった。
 昨日なぜか狂った電波時計が、正確な時刻を示すようになったので、あらためてアラームを設定したのだが、午前と午後を間違えていたのだ。いつもながらのボケをさらけ出してしまった。
 しかし、気にしながら寝ていたせいか、いつも通りに起床できた。
 自分で設計している案件(簡単な検査装置)に対して、機械と電気の専門家の意見を聞くことができた。私ができないことは当然やってもらえる。
 ますます楽しくなってきた。
 帰りに、行き付けの(酒場ではない)電器店に寄って、注文してあったデジカメの交換電池を買った。これはワイフにプレゼントしたデジカメの予備電池である。追加のプレゼントということになる。
 帰宅したら、国立天文台に申請してあった画像の掲載許可書が届いていた。早速、出版社へ報告した。
 就寝前に、ワイフが養命酒を飲もうとしていた。
 その現場を私に見られたワイフは、すかさず
 「あ! これ、私の養命酒だからね。飲まないでよ」
 (おいおい。それは、もともと僕が買ってきたものじゃないか)
 と言いかけたが、言葉を飲み込んだ。酔っ払いは機嫌を損ねると恐い。
 養命酒は、松井秀喜の本を読んで興味を持った。彼のお母さんが、プロ野球で活躍するためのレシピのひとつとして推奨していたからだ。きっと老化している私にも効果があるだろうと思った。
 デジカメの電池を追加プレゼントしても、養命酒は私のところへ戻ってこなかった。

9月2日(木)「アシュレイが壊れた?・・・の風さん」
 毎日暑い。異常気象が続いている。
 私は終日設計図を描いていた。
 しかし、わずかな時間に、会社に持ってきているアシュレイを作動させたら、異常停止した。
 (あれ?)
 やむを得ず電源を切って強制停止させた。再起動してもOSが立ちあがらない。
 画面に妙な表示が出た!
 Operation System Not Found
 (なんだ、こりゃあ?)
 とにかく設計を急いでいたので、アシュレイを再び強制停止させた。
 帰りにコーヒー豆の安い店に寄って大量に買って帰宅した。

9月3日(金)「暑い一日・・・の風さん」
 昨夜用意した郵便物を抱えた私を見て、ワイフが「ポストに入れてあげようか」と言ってきた。
 こういうチャンスはまたとない。
 「ラッキー。頼むよ」
 出社してアシュレイを立ち上げようとしたが、ダメだった。ハードディスクのチェックが自動で始まった。OSが見つからないので、自己修復を試みているようだ。同僚が、「致命的な故障みたいですよ」と、私に致命傷を与えるような意見を言った。
 今日も会社の仕事が忙しかった。
 帰りに、銀行振込しようと、利用したことのない銀行へ、やっと探してたどり着いた。
 ATMの稼動している時間帯だったが、現金での振込みができないというメッセージが出た。
 (な、なんでぇ〜?)
 わざわざ回り道してやってきたのに、強烈な脱力感をおぼえた。
 ミッシェルに給油して帰った。
 日中は恐ろしい猛暑だが、夕方からだいぶしのぎやすくなってきた。
 帰宅して新聞を見たら、明日の予想最高気温が出ていた。
 「げげぇー! 38℃だぁ」

9月4日(土)「暑い日はそれなりにホットなことがある・・・の風さん」
 日中の予想最高が38℃の今日、物好きで外出した。
 確かに猛烈な日差しを感じた。
 物好きでの外出なので、外出の正当な理由は特にない。しかし、昨年来気になっていた買い物をした。寿命のある製品の買い替えである。
 愛知県図書館から借りている本を返却したり、宮城県図書館に画像の掲載許可のための手紙(メールでのやりとりは既に完了している)を出したりもした。
 久しぶりにプロ野球で大記録が生まれた。45歳の山本昌が、史上最年長完封を、巨人相手に達成したことだ。
 自分が45歳のときがどんなだったか覚えていないが、無理をすればあちこち故障が起きる年齢である。いくら鍛えた肉体とはいえ、酷使しなければ良い成績は残せないだろう。プロとして現役でやっていられるだけでもスゴイことだと思うが、完封はとびきりスゴイ。
 こういうときに観戦できたら最高だったろうなあ(この間はチェンがノックアウトされた)。

9月5日(日)「初めての現代小説掲載・・・の風さん」
 昨日ほどでないにしても、今日も気温は確実に35℃を超えそうだった。
 朝から連載原稿に集中した。締め切りを5日遅らせているので、何が何でも今日中に送らなければならない。
 「大衆文芸」夏の号が届いた。初めて現代小説が収録された。うれしい。20年以上も前に書いた作品をリライトしたものだが、私でもそれなりの成長をしているので、作品はかなりのレベルだと思う。
 届いた夏の号に勢いを得て、原稿執筆を続けた。
 久しぶりにトレーニングに行けるほど早くはできなかったが、夕食前にはほぼ完成した。
 数ヶ月ぶりに学位論文を入れたCDを製作した。また、人に贈呈する必要が生じたからだ。
 今夜も中日は巨人に勝ち、名古屋ドームで巨人戦9連勝とのこと。
 阪神が首位だし、今年のセリーグは注目に値する。政府与党の党首選びとは次元(文化レベル)が違う。

9月6日(月)「次女のPCをよみがえらせる風さんの巻」
 出社してアシュレイの立ち上げに挑戦したが、やはりダメだった。3日連続不調だったので、本当にハードディスクが壊れたようだ。
 とうとう諦めることにした。きっと修理に出すこともないだろう。
 今日、突然五大路子さんからケータイに電話があり、「9月中に塩原温泉和泉屋旅館に行きたいので、協力してほしい」ということだった。急いでいるのは、私が送った残暑見舞いのせいと、10月になると舞台稽古などで多忙になるからである。
 早く見学しないと長谷川伸先生ゆかりの文学亭がなくなってしまいますよ、と伝えた手前、誠心誠意、実現するようにお手伝いしなければならない。
 壊れたアシュレイを持って帰宅し、次女に与えて使わなくなっていた古いノートPCの復活を試みた。バッテリは使用不能になっていたが、本体は動いた。懐かしいWindows98である。

9月7日(火)「次女のPCにデータ通信カードを装填・・・の風さん」
 昨夜用意した郵便物の投函を、またワイフに依頼した。高くつくかも(笑)。
 来月予定している算額見学の件で、I 神社の社務所に電話した。ちゃんと心積もりしてくれていることが分かり、ありがたかった。
 集合場所について相談して決定した。
 これにより、前日の広島での詳細スケジュールが決められるようになったので、思いっきり取材ができるように計画した。
 帰宅したら、小寺先生にお願いした大阪弁チェック結果が郵便で届いていた。わざわざ拙稿を印刷し、Before−Afterが分かるように朱書きしてくれていた。大阪弁だけでなく、大阪の地理や、和算に関する専門的な指摘も入っていた。勉強になる。
 古いノートPCにデータ通信カードを装填し、使えるように頑張った。
 通信カードを使えるようにするのに、非常にてこずった。
 マニュアル通りにやろうとすると、CDドライブに付属CDを挿入した状態で、データ通信カードをカードスロットに挿入するのであるが、サブノートPCなので、CDドライブは外付けである。しかも、カードスロットを通じて接続する(USB接続ではない)。
 USB接続の別のCDドライブをつないでみたが、認識しなかった。このCDドライブが最新鋭機だからだろう。
 そこで、付属CDの内容を本体のCドライブにそっくりコピーした後で、データ通信カードの設定をすることにした。
 ちなみにマニュアルは、XPとVISTA向けの説明しかなかった(7には対応していないと書いてあった)が、工夫して設定作業を進めた。
 うまく行った!
 しかし、続いて、ネット閲覧にトライしたが、なぜかできなかった。
 明日の課題とした。

9月8日(水)「怪我の功名・・・の風さん」
 普通より40分早起きして、ワイフを最寄の駅まで送った。アメリカからトールペインティングの先生が来ているので、JDPAの役員をやっているワイフは対応しなければならない。
 今日は非常に苦労したが、古いPCを使えるようにすることができた。
 先ず、データ通信カードのサポートセンターへ、電話とメールで「カード設定はできたが、ネットの閲覧ができない」ことを伝えてアドバイスをもらった。解決策は簡単で、ユーザIDとパスワードの設定が違っていただけだった。
 それで、やっとネット閲覧ができる、と喜んだのも束の間、エラーメッセージが出てブラウザ(インターネットエクスプロ―ラ)が閉じてしまうのである。
 PCに詳しい同僚に質問すると、インターネットエクスプローラのバージョンが古いから、とのことだった。
 古いPCのブラウザは、IE5.0だった!
 これをIE6.0に変える必要があるのだが、既にMS(マイクロソフト)では、Windows98に対するIE6.0のサポートを打ち切っていた(IE7.0とか8.0はインストールできない)。
 それなら力づくで、IE6.0をインストールしようと思ったのだが、IE5.0では、マイクロソフトのサポートページすらエラーになってしまって開けないのである。
 (チキショー)
 と心の中で叫んだ私は、MSに絶縁状を叩きつけることにし、IEでなくFirefoxをインストールすることにした。
 ところが、ところがである。FirefoxはWindows98にインストールできないという。
 (なんだ〜? MSとグルかよ?)
 結局、同僚が考えた裏技を使って、IE6.0をWindows98にインストールすることができた。
 すると、ネット閲覧でエラーが出ないだけでなく、日ごろ見慣れた画面が表示されるようになったのである。
 エラーから脱却しただけでなく、今回、データ通信カードを正しく設定したことにより、通信速度が目に見えて速くなった。
 所詮ダイヤルアップ接続だから「遅くて当然」と諦めていた。しかし、実際はもっとずっと速く動作するのである。
 ネットサーフィンが著しく快適になった。
 「怪我の功名ですね」
 同僚が言った。その通りである。世の中、悪いことばかりではないことを、あらためて知った。
 食料品店に寄って、晩御飯の買い物をして帰宅した。今夜、ワイフの帰宅は遅くなる。

9月9日(木)「文学亭見学日程が決まった・・・の風さん」
 今朝も40分早起きしてワイフを送った……ので、眠い(笑)。
 昼休みに五大さんからケータイに電話があり、塩原温泉和泉屋旅館文学亭見学の相談をした。
 日程がフィックスしたので、和泉屋旅館にもそのことを伝えた。
 私は有休をとって行くことになる。
 夕方になって、やけに肩の凝りを感じた。痛みを伴う凝りである。トレーニングに行っていないので、体のバランスが崩れているのだろう。
 とっても不快だったので、病院でもらった痛み止めの薬を飲んだら、退社するころには不快感が消えていた。
 買い物をしていて帰宅がやや遅くなった。
 最寄の駅が近付いた頃、(もしかして)と思ってケータイをチェックすると、ワイフから「迎えに来て」メールが入っていた。
 前方の駅を見ると、ワイフが乗ってきたであろう電車が、再び動き出したところだった!
 ミッシェルを加速し、急いで駅の裏手に回ると、とぼとぼと歩いているワイフの背中が見えた。
 今日はポイントを稼いだと喜んだ風さんだったが、帰宅したら名古屋から長女が久しぶりに来ていて、喜んだワイフの視界から、(さっきまで後光が差していたはずの)私の姿はものの見事に消えていた。

9月10日(金)「復活PCの名前はリグビー・・・の風さん」
 実は、昨夜ショッキングなことがあった。
 某学会に投稿してあった論文の査読結果が届いたのだが、とうてい対応できないと思われる厳しい指摘が列挙されていたからである。
 社会人入学3年間の総仕上げともいえる内容の論文で、投稿を勧めてくださる先生方もおり、私は自信をもって投稿したつもりである。
 しかし、……。
 大野先生と相談するつもりだが、取り下げも選択肢の一つになると思う。
 出社前に、昨夜用意した郵便の投函を2通、ワイフに頼んだ。作家はいろいろと忙しいのだ。
 復活させたPCが使い物になりそうなので、名前をつけることにした。
 リグビー。
 不思議な名前に思われるかもしれない。私にはそれなりに意味がある。
 そのリグビーに辞書データを装備した。
 ネット閲覧をするのに、Adobe Reader のバージョンが4.0と古かったので、……ここでまた、Windows98 の障害が出た……同僚のアドバイスを元に6.0にバージョンアップしたが、英語版がインストールされてしまった(笑)。
 会社では実験とその後片付けをやったのだが、重い物を持ってしまったので、腰と背中を少し痛めたらしい。
 帰宅し、夕食後、書斎でダウンした。
 やはりまだ無理はきかない。

9月11日(土)「異星人、テレビを観る・・・の風さん」
 目が覚めたら書斎だった(笑)。
 午前4時。
 体の節々が痛い。
 ついでに胃のあたりも痛い。
 胃痛薬を飲んだ。
 それからシャワーを浴びてまた寝た。今度はベッドで。
 ゆっくりと起床したが、まだ体が痛い。今度は、ロキソニンを服用した。関節などの痛みを止める薬だ。
 地元の図書館から電話があり、来年1月の講演を依頼された。図書館協議会の会合の記念講演らしく、作家と図書館の関わりについて話してほしいと言われたので、恩返しの意味もあり、快諾した。
 午後からも書斎で体を休めた。
 10月の算額見学の案内に対する返信がかなり集まってきた。あと3人くらいかな。だんだん細部に関するアイデアが浮かんでくる。幹事はしっかりしなければ……。
 夕食後も体調不良が続くので、珍しくテレビを観た。チャンネルは三重テレビらしく、異界のような印象がする。ローカルなCMも多く、初めて観る映像ばかりだった。あ、そうか。30年間テレビを観ない私こそ、異界からやってきた人なんだ(笑)。
 大阪の小寺先生のご指導による大阪弁を、児童文学にインストールした(笑)……じゃなかった反映させていただいた。大阪弁だけでなく、他にもたくさん指摘があり、勉強になった。
 とにかく先生というのはありがたい存在だ。
 感謝、感謝。

9月12日(日)「胃腸風邪か?・・・の風さん」
 今朝は普通に起床。
 新聞を開いたら、高校の先輩である、東レ経営研究所顧問の佐々木常夫さんが出ていた。ベストセラー『ビッグツリー』の筆者である。
 奥様のうつ病が全快されたという。よかった、よかった。
 朝からやけに鼻水が出る。花粉症のような気がしたので、薬を飲んでみたが、治らない。背中や腰の痛みはおさまっているが、依然として腹痛がある。
 もしかすると、と思って、午後、風邪薬を服用した。
 一昨日から、胃の薬、関節の薬、花粉症の薬と飲み継いで、とうとう風邪薬にたどり着いた。これで治れば、胃腸風邪をひいていたことになる。
 ぶっ倒れている書斎と茶の間を何度か往復しながら、立ち上げ途中の共用PC(以前長男にあげて、その後、不要になっていたもの)に、二つの必須ソフトをインストールした。もうかなりゴールは近い。
 夕食後、児童文学の第4稿を書き上げた。もう少し手を入れたかったが、後がつかえているので、このへんで提出しないと、出版社が困る。
 総合感冒薬が効いているような気がする。
 やはり胃腸風邪だったのだろうか。
 
9月13日(月)「執筆だけしていればいいわけではない・・・の風さん」
 昨日服用した総合感冒薬が効いているのか、カラダの痛みは気にならないくらいになっていた。しかし、まだ少し胃が痛い。精神的なものかもしれない。
 出社して階段を登るとき、左膝が痛かった。これは運動不足だろう。
 今日はリグビーにOffice2000をインストールした。これで、必要最小限の機能が装備されたといえる。バッテリが死んでいるので、外してしまったが、本体内蔵電池も充電されたらしく、電源を切ってひと晩たっても、時計がまともな時刻を表示するようになった。
 昼休みに、リグビーを使って、10月の広島行きの夜行バスのチケットの決済を終えた。
 参加者からの返信も、来てないのは、あと一人だけとなった。
 さあ、今日は帰ってから執筆をやるぞ、と決意も新たに退社したが、いつものように誤算となった。会社の仕事が毎日計画通りに行かないのと同じで、家での仕事も全く予定通りに運ばない。
 福島県の母が住んでいる市の福祉課の人と電話で話すことになったからだ。
 独り暮らしの母を心配して、わざわざ私まで確認の電話をかけてきてくれたのだ。
 いちおう私が母の状況を把握できていることを確認できたようで、今後も連絡を取り合いながら母のケアをしていくことになった。肉親だけではできないことが、専門家で第三者が入ることでできる範囲が広がるような気がする。
 明日、兄貴とも電話で相談しよう。

9月14日(火)「Abstractから修正・・・の風さん」
 昨夜はハプニングもあったが、前進したこともあった。査読結果の届いた論文の修正に関して、大野先生からありがたい助言があったからだ。意気消沈している私を鼓舞する内容で、やはり先生というのはありがたい。
 出社して、修正したAbstractを、英語の達人の同僚に見てもらうことにした。多忙にもかかわらず快く引き受けてくれた。これも本当にありがたい。
 夕方、6月に出張した展示会で知り合った人が、たまたま製作所に寄ったので、ロビーで再会した。元気な若者で、会社は違うが、同志を感じる男だ。彼の前途に祝福あれ!
 帰宅したが、今日もパワー不足で執筆をやる元気が出ない。
 論文はwordで作成されているのだが、英語を前提に作られているソフトなので、扱いにてこずっている。習得ソフトを、ためたポイントでダウンロード購入したのはいいが、1GB以上もあり、ばかげた時間を浪費して、また疲れてしまった。
 オフクロの件は、兄貴と電話でバッチリ相談できた。
 しかし、やはり執筆に注力できないのが頭痛の種だ。

9月15日(水)「日本の危機なのに・・・の風さん」
 すごい音で目が覚めた。
 カーテンを引くと、滝のように雨が降っている。南国ならスコールだ。
 豪雨の中、出社した。製作所の周辺は小雨だったので、住居地のあたりだけの局地的集中豪雨だった。不幸中の幸い、風は弱かったので、被害は少ないかもしれない。
 同僚のお義父さんが亡くなったという電話が入った。同僚にやってもらっていた仕事を、しばらく自分でやることに決めた。合掌。
 wordの論文を修正しやすいように、貼り付けてある画像(絵やグラフ)をすべて挿入テキストボックスの中に格納し、本文の文字数が変わっても動かないようにした。
 帰宅するころは、もちろん豪雨ではなく、スイスイ走れた。子供たちの帰宅が遅いので、ワイフと二人だけで夕食を摂った。迷っていた11月の旅行を実施することに相談して決めた。
 今夜もパワー不足で、葉書を1枚書くのが精一杯だった。
 それにしても身近なところでも色々なことが起きるが、政治の世界には本当に呆れる。経済はもちろん(円高のこと)、外交面でも(尖閣諸島やガス田のこと)危機的な状況なのに、そのことに対する真剣な意思表示が見られない。自分のことしか考えていないのではないかと思ってしまう。

9月16日(木)「家では絶不調・・・の風さん」
 出社時に途中のコンビニで葉書を2通投函した。今まで利用していたコンビニがつぶれたので、別のコンビニである。これからも利用することになるだろうが、店内のポストが小さい。私の郵便物にはぱんぱんのレタ―パックが多いので、ちょっと危ない。
 休んでいる同僚は、昨夜は通夜、今日は本葬のために大変だろう。今日もやれるだけ、同僚の仕事を進めた。
 論文の本文の修正に着手したが、業務多忙のため集中できなかった。同僚が修正してくれた完璧なAbstractが戻ってきた。いつも仕事が遅いのは私だけ。
 帰宅したら、今夜も子供たちの帰りが遅くなるという。今夜も二人だけの夕食だ。
 昨夜決めた11月の旅行とは、ディズニーシーのことで、マイレージで手に入れたペアチケットと、ホテルに格安で泊まれる権利を利用するのである。
 立ち上げ中の長男のパソコンを調整していたら、「ダッフィー・グッズを見せて」と言う。
 画面に出してやると、やけに詳しい。流行にいかに敏感かよく分かった。
 今夜も執筆をする元気が出なかった。しかし、政治の空白が続いているせいにしてはいけない。

9月17日(金)「十数年ぶりの仕事・・・の風さん」
 会社で十数年ぶりに樹脂埋めしたサンプルを専用研磨台で磨いた。断面観察をするためである。樹脂埋めは昨日実行した。今日は、固まったサンプルを樹脂ごと磨いて、顕微鏡で断面観察して、その結果を写真に残した。樹脂埋めと磨きに要する時間は昔と変わっていないが、断面観察から写真データ取り込みに要する時間は、さすがにコンピュータが発達したおかげで早い。マネージャーをリタイヤしたので、たまにこういった実務ができて楽しい。
 満足できる結果が得られた。あらかじめ仮説を立てて実験しているので、結論を得るのは早い。これが実用の世界での仕事というものである。
 今日も論文の本文の修正をやった。今週中にほぼ完成まで到達するのが目標だったが、半分もできなかった。週末は別にやることがあるので、来週、緊迫した場面を迎えることになる。

9月18日(土)「散財癖が治らない・・・の風さん」
 普通に起床した……が、睡眠時間はたっぷりだ。
 たまっていたメールをどさどさっと送信した。宮城県図書館から届いた画像の掲載許可書も出版社へ転送した(pdfにして)。
 これで安心して執筆に着手した。連載原稿である。他の大物に比べれば、頑張れば短期間でできそうな内容である。
 しかし、夕方までかかって、導入部分しかできなかった。やはり私の筆は遅い。
 とはいえ、今日は大きな収穫もあった。
 地元の図書館から3冊の本を借りてきたのだが、3冊とも、私にとって必要な内容を多く含んでいることが判明した。
 それで早速購入手続きに入ったのだが(ネット上で)、1冊は古本しかなかった。しかも、定価の2倍以上もする。さんざん迷った挙句、購入することに決断した。じっと待っていても復刊される保証はないからだ。
 またまた散財してしまった。

9月19日(日)「リトルワールド、ベトナム・サーカス・・・の風さん」
 昨夜、墓参のために兄貴夫婦が当地へやってきた。ここ数年の恒例行事になっている。
 今朝は6時半起床で、先ず、兄貴夫婦を迎えにCホテルへ行ってきた。Cホテルには専用の駐車場がなく、近くの駐車場を利用するとけっこうな金額をとられる。そこで、兄貴のクルマは我が家の駐車場に止めておき、私が送り迎えをするのである。
 家でワイフを拾ってからお寺さんへ向かった。
 墓参後、お寺さんへ挨拶し、再び家に戻り、荷物を下ろしてから、遊びに出発した。
 今回の目的地は犬山市にある、人間博物館「リトルワールド」である。
 兄貴夫婦にとっては初めて。私たち夫婦にとっても十数年ぶりである。
 犬山市の前から道路は大変な渋滞で、結局、到着したのは11時半近かった。
 だいたいの作戦を立てて、左回りで園内を見学することにした。
 以前来たときは子供を楽しませることに神経を使っていて、記憶がおぼろである。初めて見るような世界が次々に目の前に現れた。
 日中の予想最高気温も32℃前後らしく、確かに暑いし汗も流れるが、猛暑の日とはやはり違う。耐えられる暑さだった。
 ワイフお目当てのドイツレストランで昼食を摂り(1年前の本場ドイツの味とちょっと違う感じ)、そこでお土産も買った。
 面白かったのは、始まったばかりのベトナム・サーカスで、ITや特撮のない、鍛えた人間の力と技に依存する芸が感動を呼んだ。初めて見るパフォーマンスも多かった。さらに驚くことは、日中の30℃を超す屋外ステージでの公演で、汗で手がすべるのではないかと、ハラハラした。実際、力技のショーでは、出演者の体が汗で光っているのが見えた。
 夕方、名駅で長男や次女と合流し、兄が希望する名古屋コーチンの料理を食べた(長女は友人の結婚式に招かれていて、今回は欠席)。料理の味はすべて極上だった。
 就寝前にロックを軽く2杯飲んでさっさと寝た。
 執筆は挽回できるだろうか。明日からまた頑張らねば。

9月20日(月)「貴重な写真データが見つからない・・・の風さん」
 敬老の日で娑婆は休日。今朝は出勤中の運転をドライブレコーダで記録することになっていて、道路が空いていれば、ミッシェルでの胸のすくような走りを見せられるのではないかと、ひそかに期待していた……が、信じられないことに、田舎道なのにけっこうたくさん走っている。しかも、遅い。安全運転である。
 あまりにものろくて、道路わきの田んぼの稲穂が、すっかり実をつけているのを眺めることができた。純米酒が頭にふと浮かんだ。
 今日は担当業務である契約関係の仕事が一つ終結した。
 退社時にまた大好きな大型電気店に寄って買い物をした。お金を使ってストレスを発散するのは母親譲りだが、そろそろ原資が底をつきそうだ(^_^;)。
 連載原稿の12月号分の著者校正がきたので、てきぱきと処理した。
 執筆パソコンの中に保存してあると思っていた、長女と二人で行ったディズニーシーの写真データがないことが判明してショックを受けた。
 ワイフと口もきかず、今夜もロックを2杯あおってふて寝した。

9月21日(火)「蜘蛛が運んできた幸運・・・の風さん」
 朝、洗面中に、実に久しぶりに水の冷たさを感じた……と、突然、排水口から黒い虫が飛び出してシンクの内側を走った!
 (ぎょっ。ゴキか!?)
 と思って、かすかに悲鳴を上げたが(実は階下まで聞こえていて、あとでワイフに馬鹿にされた)、蜘蛛だった。8本の足を広げると排水口の内径ぐらいある。けっこう大きい。そして、すばやい。
 飛び出したとき、蜘蛛は汚れていて、流しっぱなしだった水道水であちこちに汚れを飛散させた。
 やがて、シンクから離れて行ったが、人間が近くにいても恐れる気配もない。我が家では蜘蛛は保護動物の一つなので、安心しているのだろうか。
 何とか洗面を終えて階下へ降りた。
 今日はリグビーにPPTをインストールし、修正中の論文のグラフを修正した。
 就寝前に、念のため、執筆マシンでなく、USB接続のハードディスクの中に、長女と二人で行ったディズニーシーの写真がないかと探したら、……あった!
 一件落着。
 夜遅くまで論文の修正に専念した。あと一歩かもしれない。
 今朝の蜘蛛がまだ二階の洗面所をうろうろしていた。

9月22日(水)「中秋の名月の夜でも久しぶりの徹夜か・・・の風さん」
 通勤途中の田舎道で、ゆるやかに左カーブして直線道路に出たら、レーダー探知機がけたたましいアラームを鳴らした。
 制限速度を10キロもオーバーしていないので、ゆとりで減速しながら進むと、確かにスピード取り締まりをやっていた。
 しかし、まぬけな取り締まりだった。
 わずか100メートル先に、一時停止をせずに飛び出すクルマが目白押しの交差点がある。
 両側に民家もない田舎道で、ただスピードオーバーをつかまえるために取り締まりをやり、事故を引き起こすきっかけになりそうな、違反はもちろんのこと、マナーに反する運転を見過ごしているのだ。交通事故死全国ナンバーワンの県は、ドライバーの運転マナーが最低だし、警察の取り締まりも大まぬけなのである。
 修正中の論文はワードで作成しているのだが、今日、そのファイルが壊れていることが判明した。原因は不明で、修復ができない。結局、古いファイルから作り直すことになり、昨夜までの作業がパーになった。
 退社時、名古屋方向の空で稲光がたえまなく光っていた。遠くて音も聞こえず、荘厳な印象。
 マイホームが近づくと、空は雲がほとんどなく、中秋の名月が、作家鳴海風の前途を照らしていた……なんちゃって(^_^;)。
 帰宅して、夕食を摂る余裕もなく、書斎で論文の修正作業を続けていたら、長男が「夕食の用意をしたけど」と珍しいことを言ってきた。
 「大ピンチだから」と言いつつ、超高速で夕食を摂った。
 10時過ぎにワイフ、11時過ぎに次女を迎えに最寄の駅まで行ったが、論文の修正は遅々として進まなかった。
 今夜も二階の洗面所に蜘蛛を発見したが、論文は完成しない(関係ないか)。
 やがて、徹夜モードに入って行った。中秋の名月なのに。

9月23日(木)「ほぼ徹夜明けでも元気だった風さんの巻」
 論文の修正と学会への郵送準備が終了したのは、午前5時半だった。
 それからシャワーを浴びて、体を休めるために書斎で横になったら、すぐ寝てしまった(当然か)。普通でなかったのはそれからで、じきに目が覚めた。それはそうだ。朝のうちに投函しないと、明日中に東京の学会へ届かない。
 洗面をしているとき、外で雨が降っている音がした。
 今日は秋分の日である。秋なのだ。
 出社途中に、最近利用するようになったコンビニで投函した。買い物はしない。
 睡眠不足だったが、会社では1日もった! 我ながら感心してしまう。
 月曜日の出勤時のドライブレコーダ録画が失敗だったので、明朝再挑戦することになった。
 雲が多くてお月様が見えない空の下、ミッシェルを飛ばして帰宅。
 2階の洗面台に向かおうとしたら、横の方に例の蜘蛛がいた。我が家に住みつくつもりかもしれない。
 夕食時に「おはぎ」が出た。
 今夜は頭が冴えないので(いつもか)、気になっていた郵便物作りをした。どうも作家よりも文通屋の色彩が濃いな。つまり人付き合いばっかりしていて忙しい人。
 必要最小限のメールを出したら、もう午前零時を回ってしまった。

9月24日(金)「蜘蛛の姿が見えない・・・の風さん」
 今朝もどさどさっと郵便物をコンビニで投函して出社した。
 おっと、それだけではなかった。月曜日に失敗したドライブレコーダによる運転映像も記録した。今日は運良く先頭で走れたので、爽快な映像が撮れたはずだ(昼休みに職場で確認したら、すばらしい映像で、まるでドイツの田舎を走っているようだった……言い過ぎか(笑))。
 帰りに2週間ぶりにミッシェルに給油して帰宅した。
 今夜は洗面所に蜘蛛の姿を見ることはなかった。
 別に拘束していたわけではなかったから、いなくなっても不思議はないのだが、ちょっぴり寂しい。
 一方、寂しいどころか不愉快なのが、拘束していた船長の釈放である。
 レアアースの禁輸、ハッカーによるサイバー攻撃、はたまた日本人4人の拘束と、下品な対抗手段を次々に繰り出されて、世界に発信もしないまま、黙って釈放する政治家は国賊だと思う。

9月25日(土)「ちび助、クリニックでパニック・・・の風さん」
 血尿が続いているちび助を、ネットに入れ、さらにペット用バスケットに入れ、ミッシェルでクリニックへ連れて行った。
 運悪く、待合室に到着した直後、犬が入ってきたためパニックになった。
 バスケットからネットごと飛び出して、床の上をころがるように走った。
 診察室へ入った後、今度は別の犬が待合室へ入ってきて、前の犬と唸り合いになったため、ちび助の興奮はエスカレートした。
 持って来た血尿サンプルを検査してもらい、注射を打って、飲み薬をもらって帰宅したが、見ているこっちが疲れた。
 いったん帰宅した後、来週の塩原温泉行きのためのお土産を買いに、またミッシェルで外出した。
 本来なら横須賀へ行っていた時間帯だが、やはり無理だった。
 今日も元気が出ず、宛名シールの印刷をしたりして、残りの時間を過ごしてしまった。

9月26日(日)「連載原稿に挑戦するも・・・の風さん」
 もういくら何でも限界だと思い、朝から連載原稿の続きに挑戦した。今日中にやっておかないと、月末までに2回遠出するので、もう一つの原稿を作成する時間がない。
 途中で地元の図書館に借りていた本を返却に行き、また新たに2冊借りてきた。いい本が見つかったのだ。しかし、いい本が見つかっても読んでいる時間がないのが、私の慢性的な問題だ。
 夕方から夜にかけて、ひたすら連載原稿に取り組んだが、なかなか完成しない。
 午後11時ころになってもできなかったが、もう疲れたので中断することにした。
 
9月27日(月)「出発前日はいつもこうか・・・の風さん」
 ごく平凡な、ありふれたウィークデーが始まった……ような気がした。
 会社ではできる限り現場へ出た。現場作りの仕事なので、現場をよく見ることが大事。
 昼休みに五大さんへ電話して、明日の最終確認もしたが、五大さんは忙しそうだ。
 五大さんというのは五大路子さんのことで、明日は、かねて念願の(私が希望していた)長谷川伸先生ゆかりの、塩原温泉和泉屋旅館にご案内する。
 帰宅したが、原稿の仕事がたまっていて頭が痛い。
 明日の準備を気にしながら、とりあえず連載原稿を仕上げようと、ラストスパートに入った。
 老化現象だろう。マルチ、パラレルができない。シングル、シリーズが最も効率が良いのだ。
 外では雨がだいぶ強く降っている。遠足前の気分でもある。ウキウキしているような、ドキドキしているような。
 出版社へ原稿やら写真データやらを送り終わったのが、午前2時だった。
 雨はあいかわらず。

9月28日(火)「五大さんは晴れ女・・・の風さん」
 ほぼいつも通りの時間に起床した。だから、……眠い。
 幸いひどい雨雲は去ったようだ。しかし、東上している可能性が高く、塩原温泉で追いつくようだったら、やだな。
 来週明けに出さなければならない原稿があって、まだ何も書いていない。しかも、読まなければいけない参考資料がどっさりある。
 それらを念のためかばんに詰め込んだ。
 ワイフに最寄の駅まで送ってもらった。絶好調でないので、皆に助けてもらわないと、どこかで破綻する。
 強い雨は過ぎ去ったとはいえ、まだ小降りである。東京雨男としては、雨が東京で止まってくれないかと、自信なく思う。
 名古屋まで、特急車内ではうつらうつらしていた。
 名古屋駅のキオスクで急いでお世話になる旅館へのお土産を買った。
 のぞみの指定席は一番先頭車両だったので、歩くと遠く感じる。
 出発して少し参考資料を読んだが、あとはほとんど目をつぶって安静にしていた。
 楽しい旅行になるはずなのに、万全の態勢でないのがくやまれる(執筆の仕事が頭から離れないのだ)。窓外の雨模様も気になる。
 東京駅に着いてすぐ、セイコー時計資料館の見学を、電話で予約した。
 五大さんとは、乗車する東北新幹線を決めてあったので、ホームで合流することにした。
 私が先に着いて待っていたが、なかなか現れない。
 連れの人と一緒に来ると思っていた私は、一人で、帽子をかぶって大きなマスクをしている五大さんが分からなかったのだ(笑)。
 お連れの人は、学生時代からの親友だった。明るくてしっかりしている方だった。
 やまびこの車中では、座席を向かい合わせにして(まるで修学旅行(笑))、五大さんの新刊『白い顔の伝説を求めて』の話ばかりしていた。メッセージ性の高い作品なので、お芝居を観てもらうのが一番だが、書店でのサイン会やトークセッションにも協力したいと思った。
 那須塩原駅まで、あっという間だった。天気は依然として不安定だった。
 駅まで旅館のご主人がクルマで迎えに来てくれたが、我々が到着とほぼ同期して、強い雨雲が尻尾を巻いて去ったという。
 「わたし、晴れ女なのよ」
 五大さんが自慢げに微笑んだ。
 途中で土産物屋にちょっと寄ったら、早くも店員の女性に五大さんの正体がばれてしまった。
 恒例の塩原ものがたり館をご案内し、文豪との縁が強く深い塩原温泉を理解してもらう。
 続いて、樹齢1500年の逆杉(さかさすぎ)が御神木となっている塩原神社へ。
 最近パワースポットというのが流行しているらしいが、ここもそうだ。
 五大さんが逆杉の隣の栃の木に抱きついてパワーを吸収しようとしていたが、栃の木の方も五大さんからパワーをもらっていたに違いない。栃の木は、これから3000年は長生きするだろう。
 やっと文学館に到着。
 長谷川伸と新鷹会ゆかりの旅館である。
 長谷川伸に傾倒している五大さんは興奮しまくりで、何を見ても感動してくれた。
 旅館のご主人が、さまざまなエピソードをきっちり説明してくれたので、五大さんの見た物はまたさらに輝きを増すことになった。
 前日からの強い雨で増水しているために、川底から湧く温泉を引いている旅館としては、湯の状態があまりよくない、と申し訳なさそうに説明する。こっちはあまり気にしていないのだが、温泉は文学館でなく本館にある方を利用することになった。
 午後6時から、ご主人のお姉さまも同席して、6人の会食となった。
 場所は長谷川伸先生が揮毫された緞帳のある大広間。100畳をたった6人で占領である。
 山海の珍味を愛でながら、話題は次から次へと尽きなかった。
 立派な舞台があるので(昔、新鷹会の先生たちが文士劇を演じたのである!)、五大さんも女優魂がゆさぶられたようで、何かやりたいと何度も呟いておられた。実現したら、夢のようだ。
 「そろそろお開きにしましょうか」
 と口をはさんだら、なんと、午後11時を回っていた!
 五大さんは長谷川伸先生ゆかりの「まぶたの間」。私は山岡荘八先生ゆかりの「りんどうの間」へ引き取った。
 それからまた温泉に入り、部屋で、地酒「天の鷹」をちびちび飲みながら、五大さんから頂戴した『白い顔の伝説を求めて』を読了した。
 午前2時だった。
 
9月29日(水)「く、靴が壊れた・・・の風さん」
 午前7時に起床した。今日も寝不足で眠い一日になりそうだ。
 窓から外を見ると、山の上の空は真っ青に晴れていて、下を流れる箒川は、昨日の濁流がずっと澄んで、清明な流れになっていた。
 私にとっては4回目の和泉屋旅館になるが、亡くなられた諸先輩の思い出がふと頭をよぎる。村上元三先生、戸川幸夫先生、野村敏男先生、新井英生先生、杉田幸三先生、戸部新十郎先生……。
 温泉ではノルマにしている3回目の入浴をして、一日のスタートに備えた。
 朝食は3人で摂ったが、また話が盛り上がってしまい、女中さんが片づけができなくて困った顔をしながら何度もチェックに来させてしまった。申し訳ない。
 荷物をまとめて本館へ移動して、コーヒーを飲んだ後、箒川に沿って露天風呂を探る散策に出かけた。公道は風が吹き抜けていたが、杉林に入ると別世界で、森林浴をしながらのんびり歩いた。露天風呂は、水着やバスタオルが禁止で、しかも混浴である。最近流行っているようだが、昔からの習慣だそうだ。温泉旅行といった趣味のなかった風さんには、新鮮だが、老いぼれていて、何となく胸の高まりがしないのも、寂しい気がする。
 今回の旅行で、五大さんと連れの親友は「みっちゃん」「やっちゃん」と呼び合っていたが、それに、五大さんの命名で「風ちゃん」が加わった。「風さん」というのが定番だが、「風ちゃん」は初めてである。光栄ではあるが、何となく猫の名前のような気もする(笑)。
 那須塩原駅で別れた。五大さんは北へ、私は南へ。
 東京で下車し、東向島にあるセイコー時計資料館へ向かった。
 現在、機械式時計の勉強の真っ最中である。児童文学や来週の原稿や、さらには来年の執筆へもつながる重要な勉強である。
 駅からとぼとぼと歩いているときにハプニングが起きた。
 右足というか右の靴の感触が何となく変なのである。紐がゆるんでいるのかと思ったがそうではない。地面に吸いつけられる変な感触だ。
 なんと靴底が全面剥離しそうになっていた!
 右足をひきずりながら時計資料館の見学をし、再び駅へ戻る途中で靴底が脱落した(笑)。
 帰りの新幹線までに靴を買おうと思ったが、適当な靴屋が見つからなかった。
 そのまま帰宅した。
 原稿を書かねばならなかったが、疲れていたので、さっさと寝た。

9月30日(木)「また非常事態・・・の風さん」
 ギリギリまで努力はするが、「駄目」となれば、非常手段に訴えるしかない。
 3日連続有休となってしまうが仕方ない。
 朝、会社へ休むことを連絡し、今日は自宅で、日本機械学会東海支部へ提出する原稿に取り組むことにした。
 しかし、やはり原稿以外にもやることはあった。
 来月のイベント出張の申し込みの締め切りが今日だった。ところが、申し込みに必要な情報やデータが自宅では分からなかった。やむを得ず、主催者団体の知人へ連絡して、仮の参加申し込みをしておくことにした。朝から片手間にやっていたので、処理が終わったのは午後になってからだった。
 某出版社からの問い合わせに対しても、何らかの回答をする必要があった。いつまでも待っていてもらうわけにいかない。部分的な回答を用意し、日曜日に再度連絡することをメールで伝えた。
 夜になって、何とか提出原稿の下書きができた。リファインには時間がかかるかもしれないが、下書きができたということは前進である。
 ひと安心したところで、3日(日)に訪問する宮島の厳島神社へ、ファックスを送った。予定通りうかがいますからよろしくお願いします、という内容である。

2010年10月はここ

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